2014年1月27日月曜日

選択で次の道が出来る

運命は決まっているのか、それとも自由意志で変えられるのか。
最近は、「運命は自由意志で変えられる」と思っている方が圧倒的に多いように思いますし、私も基本的にはそうですね。

リーディングをしていて実感としてわかってきたのですが、人生は1本のレールしかないのではなく、ところどころでレールが何本かに分かれるタイミングがあり、そこで行き先を決められます。というか、決めなくてはならない。

旅の中継ぎ地点でホームに一旦降りれるタイミングが定期的にあるのです。そこでどうするか選択することで、それに合った道が出来、それに合った世界が広がる。

未来は一つの方向だけではないのだなと感じています。どんな選択をするかはとても大きな成長のポイントなので、天使や目に見えないティーチャー達は注意深く見守り、私達の自由意志を奪わないようにします。つまりどうするかは、最終的に私達に選ばせることは多いです。

しかし時には自由意志ではなく強制的にある電車に乗らなくてはいけないこともあるかも知れません。特に生まれてからある時点までは、自分が乗る電車は選べませんよね。しかしどちらも、あるところまで来たらまた選択できるようになります。

そのまま同じ電車に乗り続ける人もいるだろうし、他の電車に乗り換える人もいるだろうし、場合によっては今乗っている電車はそこから先に進めないから、降りるしかないこともあるでしょう。

自分はどの電車に乗ればいいのか。安全な道ばかり選んでいたら、世界は小さくなり、広がっていかない感じになることはよくありますし、頭に従った判断ばかりでは、心は大抵不満を抱き始めます。

漫然と今の電車に乗っていることに疑問を感じ、一旦降りて駅のホーム内でコーヒーを飲みながら、どうするか考えてみたくなることもあるでしょう。ブレイク時間を過ごす時は、人の雑踏で自分が取り残されているような気持ちにならないことが大切ですね。ゆったり心の内側に入ると、インスピレーションが降りてきます。勇気が湧いてくることもあるでしょう。

いずれにしても、また時間が来たら、或は再び次の乗り換え地点に来たら、「○○行き」「☆☆行き」etcの電車はホームにやって来るので、そこでどうするか決めれます。

電車に乗ったら、とりあえず次のホームで降りるまではその道を体験することになるでしょう。肉体は一つしかないので、あれを選んだらこれは選べないということも時には出てきます。あれを選んだらこうはならなかったという事も起ってくるでしょう。身動きがとれないこともありますが、しかしいつでも、そこでどうするかという心の選択は出来ます。

不摂生がたたって40代で身体を壊した人が、自分の身体を省みないまま進むのか、そこでより健康を意識した生き方に変えるかで、残りの人生も変わるだろうし(亡くなる前にどれだけ元気に生きられるかとか)、あらかじめ「大体このあたりで…」と考えていた寿命さえ、私は変えられるんじゃないかなと思っています。