2013年12月2日月曜日

怒りのエネルギー

リーディングをしていると、クライアントが強い怒りのエネルギーを内包していると感じることが時々あります。表面に出るわかりやすいものではなく、一見抑えていたり、時にはまったく怒りの自覚がなくても、深いところに「怒り」が強く感じられる人です。

内なる怒りに当人が殆ど気づいていないこともあれば、薄々自覚していることもありますが、いずれにしても内包した怒りのエネルギーは、何かその人の人生や魂に解決しきれない複雑な側面があることを表しています。

そして、その怒りのエネルギーは目に見えなくても・本人は自覚していなくても周囲に伝播し、人が離れていくなど人間関係で問題が出たり、人生を難しくしてしまうことがあります。

この怒りは複雑に絡みあっているものの、まずは何に対する怒りが(内包なりにも)一番強く出ているかというのがあって、それはパッと思いつくだけでもパートナーに対する怒り、親に対する怒り、他者から常にバウンダリーを侵害されていることへの怒り、自分の置かれている環境(自分では選べなかった育った環境も含まれる)に対する怒り、創造的な人生を送れていないことに対する怒り、時には過去世からきている怒りなどがあります。

そしてもちろん、その怒りの奥には更に複雑に怒りや失望、悲しみが絡みあい、人生の解決しがたいフラストレーションや問題として現れ、最終的には自分自身に怒りが向かいます。

前述したように内包のなかでもパッとわかる強い怒りがあって、まずはその怒りをどう発散させていくかが最初のステップ、ポイントであるように思います。それによって他の問題もある程度解決されていくことも多いはず。発散させるとは、その怒りに取り組んで、人生に向き合って怒りを癒していくということです。

怒りの要因に取り組むことは時に人生を大きく解体:組み立て直すことになるかも知れないけれど、その後ずっと良くなるのは間違いないし、魂はそれを望んでいるはず。

そして、魂の望みは誰かに叶えてもらうのではなく、やっぱり自分で取り組んでいくものなんです。「でも」「だって」「難しい」では人生は変わらない。

また、強い怒りを抱えていることは決して悪いことではなく、例えそれが怒りという形だったとしても、内側で火のようなエネルギーが燃え盛っているのだと私は感じます。だから、諦念や絶望で火を消して牢獄の中で諦めてしまったようになっている人よりも、ポテンシャルが高いというか、潜在的な変容の力は高くキープできているように思われるのです。